2011年4月16日土曜日

書評: 本多勝一(1982) 『日本語のための作文技術』 朝日文庫


私が所属する2011年度柳瀬ゼミでは、卒業論文作成のための活動として、文献や論文を読み解き、それらのまとめ(提出課題)を行っています。
この投稿は、ゼミのでの提出課題の原稿・構成を元に、一部加筆・修正したものです。

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今回は、本多勝一(1982) 「日本語のための作文技術」(朝日文庫)を取り扱います。
実際に読んで見ると分かりますが、書かれた当時の年代を感じさせる文体、例文が多いので、
ブログ掲載にあたっては一部改変しています。
日本語での作文にあたって、文章をより良くするティップスがふんだんに盛り込まれており、一読に値する本であることは間違いありません。



1. より良い文章を書くために

 本多勝一著『日本語の作文技術』では、細かな日本語の修辞構成から、上手い文体が決まって持っているリズム感に関する記述まで、日本語の文章を書く上で必要な要旨を幅広く取り扱っています。客観的な目線から、綿密に言語使用について記述されたこの本を、日本語使用に幼いころから馴染んでいる多くの人々は、一見すると敬遠してしまうかも知れません。しかしながら、点の打ち方や段落の適切な配置、無神経な文章表現などについての項を見れば、その考えを改めなくてはならないと実感するでしょう。以下、この図書を読んで思ったことをまとめてゆきたいと思います。


1.1 作文技術と言語の関係

  作文には、言語という概念が常に付きまとっています。著者は「言語とはすなわちその社会の倫理である。」(本文p.20、8行目)と述べています。社会の倫理、つまり、それに含有されている「文化」を背景にした構造の元に成り立っている分野であると言い換えることが出来るでしょう。この事実が、日本語を用いた作文技術にどういった影響を及ぼしているのでしょうか。統語的な観点や修辞法のまとめから、それらを検証してゆきます。


1.1.1 修飾する・されるコトバの四原則

 著者は、修飾・非修飾に焦点を置いた言語使用には、四つの原則が適用されると述べています。

(1) 節を先にし、句を後にまわす
(2) 長い修飾語は前に、短い修飾語は後に
(3) (2)に加え、大状況(重大なもの)から小状況(重大でないもの)へ
(4) (修飾語句の並列的使用の際に)親和度の強弱による配置の転換

 いずれも小難しいことを述べているように思えます。しかし、実際文章にして紙に書いてみると、悪例として本文中で紹介されている文章は、どこか感覚的に「おかしい」と思えるものがほとんどです。
以下の例は原則(4)を、オリジナルの例文に適用したものです。

A. 美しい後頭部が光るガラスに反射した。
B.  光るガラスに美しい後頭部が反射した。

これらは、X./美しい後頭部が/、Y./光るガラスに/、Z./反射した/の三つに分けることができます。XとYの修飾語句は、Zに対して並列的に用いられているため、どちらが先に来ても良いはずですが、明らかにBの例文の方が、すんなりと頭に入ってきます。Aの例文中の「後頭部」と「光る」の親和性が高いため、XとYの順番を入れ替え、読者のミスリードを誘発する可能性を下げたBの方が、よりリーダビリティが高いのです。
 私たちは、このように言語化された文章表現のルールにはたいへん不慣れです。フィーリングで、適当に、なんとなく合っているような、そのような文体で書くことは出来ても、普段から意識的にモニタリング出来ていない上記の原則などを提示された場合、戸惑ってしまうばかりでしょう。その能力をトレーニングし、産出した文章へのチェック能力を強化することが、複雑な修辞語句を操るためのひとつのコツではないでしょうか。
 
1.1.2 句読点の使用術

 句読点は、並列や同格の語の間で使用する事が推奨されます。しかし、当然ながら、本文中にあるように「カール・マルクス・アダム・スミス・チャールズ・R ・ダーウィン」と記述してしまっては、記述のルールが破綻してしまい、読者としても書き手としても、本当に伝えたいことが伝わらないことは明白です。分かりやすい句読点の打ち方のためには、「、」と「・」を上手く使い分ける必要があると言えるでしょう。特に「、」を使用する際は、構文上の重要な観点から打たれた「、」の機能を破壊してしまうような乱用をなるべく避けなければなりません。



1.1.3 漢字とカナとひらがな

 これも、読者が日本語を読む際の「快適さ」を考慮しなくてはならない問題です。三種類の文字を同時に表示し使用出来ると言うことは、多様な文章表現への可能性と同時に、上手い組み合わせを考えなければ、内容理解の際に、読み手にとって大変読みにくく、かつ、不快な文章となる危険性を孕んでいると言えます。漢字とカナとひらがなの混用を考える際に、真っ先に私の頭に浮かんできたことは、コンピュータの文字入力ソフトウェアの存在です。ここ数十年で、文字変換ソフトは性能面で大きな進歩を遂げましたが、それを使う側の人間の能力はどうでしょうか。いたずらにエンターキーを押す前に、立ち止まって自分の文章を見直してみることを勧めます。



1.2  読者に分かる文章を

 1.1.1から1.1.3までの項目から、どんな表現や修辞法であれ、その根底には読者の視点というものが存在しているということが分かりました。しかし、「読みやすい文章」とは、そういった修辞的技術の習得と発展へと全てが帰結されうるものではありません。より視点を広げ、書き手のセンスが問われるようなパターンもいくつか挙げられています。



1.2.1 既成の表現から離れる

 まとめてしまうならば、「かっこをつけた」文章はあまり良い印象は持たれない、ということに尽きるということです。手アカと本文中では表現していますが、そういった言葉の中には、かえって文章を陳腐なものに成り下がらせてしまう要素が含まれている、と筆者は指摘しています。既成(Ready-made)の使い古された表現は、ついつい私たちも多用してしまいがちではないでしょうか。ウィットに富んでいることよりも、実直で、その表現に適切だと思えるような表現を心がけたいと思います。



1.2.2 繰り返しに留意する


 この章を読み、自分の文章を見直していると「~ました。」「~と言えます。」この二つの語尾で文章が終わっていることが多いという事実に気付きました。普段からしっかりと見直しているように思えて、一文飛んで見てみるとまた繰り返しの表現を使っていることはザラにあります。このような似たような表現が続けば、文章とそれに伴う意味がぶつ切りにされ、理解するのに多大な労力が必要となってきます。また、逆接はなるべく使用しない、複数回使用する場合は表現を変える、こんな基礎的な事も、案外忘れられがちではないでしょうか。



1.2.3 落語家に学ぶ


 本当に面白い表現は、「文章が笑っていない」ことである、と筆者は指摘します。落語家は、面白い場面を本当に正直に、真面目に演じます。そこでは、「笑い」の内容で投影されるべきなのは「笑い」だけであり、そこに付随する言葉は余計なものとして扱われるべきであるという信念が存在します。これは、文章表現においても同じであるということです。オノマトペや、事実に基づかない誇大妄想的な表現より、馬鹿正直に、事実に向き合った文章の方が、かえって味があり、評価されるということに繋がると言うことです。



1.3 言語の「適正な」使用から


 1.1から1.2にかけて、マクロ的・ミクロ的な視点から作文技術の重要性をまとめてきました。では、最初の質問である、言語と作文技術の関係について、どういった事が分かったでしょうか。まず、言語を用いた作文の際には、書き手の集中力は読み手の理解の「快適さ」をいかに高めるかといったことに帰結する(すべき)といったことが、どうやら共通している事項のように思えます。また、修飾語・非修飾語の関係性からは、日本語(のみとはもちろん断言できません)が持つ、修飾に関する統語システムの複雑さを認めることができました。
 それでは、英語教育、とりわけ、英文和訳や和文英訳の指導に当たる際に、これらの事項は十分考慮されているのでしょうか。訳文という作業の中に、複雑な構文構造を持つ日本語表現と、それとは全く系統を異にする英語表現との間の溝を埋めるための指導は、やはり是が非でもなされるべきではないかと思います。それらを考慮していない指導は、日本語での作文能力のますますの停滞と、西洋的尺度を伴った日本語表現の蹂躙に他なりません。


2 「技術」の先を見据えて

2.1 読ませる≠美辞麗句を並べる

 論文は、素人でも分かるように、玄人でも楽しんで読める内容でなくてはなりません。特に何の予備知識も無い読者を対象に文章を書くのであれば、大変な骨の折れる作業となります。そんな時、
1.2.1で述べたように、ついつい美辞麗句や使いまわされた表現へと傾倒しがちになってしまいます。しかし、文字表現は、映像や音声と異なり、伝えられる情報は限定的な反面、そのインパクト次第ではテレビやラジオなどの情報複合的な伝達媒体に劣らない活用の仕方も十分に考えられます。文字情報は必要最低限かつ、最も効率が良く、読者の目を惹くものであるべきと言えます。

2.2 裏付け・材料はしっかりと

 ここで筆者が述べたいのは、具体的≠現実的であるということです。残念ながら、本書で述べられている例は、執筆された時代背景などから、私にとってはやや分かりにくいものとなっています。ここでの「現実的」とは、深い裏付けや取材を伴わない「表層的な解決」にベクトルを向けた表現であり、「具体的」とは、知識やそれが指し示す「具体」に伴う事実の確認(時に数十~数百倍に及ぶ)を経た「実証的な解決」と定義することができるのではないでしょうか。実際に文面に起こすのは10パーセントでも、残りの90パーセントをしっかりと裏付けておくことこそ、事実の揺らぎのない作文を書く大事な要素ではないでしょうか。

2.3 氾濫する「良い」「悪い」文章

 インターネット上や雑誌には、様々な形式の日本語の文章が掲載されています。玉石混交のそれらの中から、この本の内容に沿って「良い」「悪い」選り分けていった場合、果たしてどれほどの文章が「良い」文章として選別されるのでしょうか。そして、普段私たちが接している文章、産出している文章は、健全な構成を伴っているかどうか、一体誰がチェック出来るのでしょうか。文章は意思を持ちません。書いた本人と読み手の、時空を超えたコミュニケーションが存在するのみです。情報の選び手である私たちは、しっかりとした文章を選び取り、内容を評価する能力を身につけるべきではないでしょうか。
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少しだけ思ったこと。

冒頭で、「執筆された時代背景から、現代にはそぐわない表現を一部変更した」と述べました。
当時(80年代)は、学生紛争の名残が残り(一部ではまだ活発に活動していたようですが)、まだ日本が
「ポスト戦後」「戦後○○年」という時代の括りの中に居た時代でした。
どうにも、この時代には大変惹かれるものがあるように思えてなりません。
もちろん、当時の社会機運や情勢を知っている世代からすれば、現代の日本社会も捨てたものではない(現に、ここ数ヶ月の、東北大震災に対しての日本人の働きは国内外から高く評価されています)、と言うかもしれません。しかし、過去の社会の延長線上にあるはずの現代社会は、当時の社会から何を学び取ったのでしょう。

急な、あるいは緩やかな変化はどのように訪れたのか?
現代の社会の原型となった、戦後から高度経済成長期、不況の時代とは何だったのか?
1990年生まれの私が、憧憬の態度を持ち、当時の社会背景に触れることに興味を持つのは何故か?

4月14日に、広島商工会議所で開催された広大夕学講座にて、姜尚中東京大学教授のサテライト講義を受講しました。
そこで考えたこと、思ったことは、上記の疑問の解決の糸口になるような気がしました。ぜひ時間を見つけてまとめたいと思います。

書評: 酒井聡樹(2007) 『これからレポート・卒論を書く若者のために』 共立出版

私が所属する2011年度柳瀬ゼミでは、卒業論文作成のための活動として、文献や論文を読み解き、それらのまとめ(提出課題)を行っています。
この投稿は、ゼミのでの提出課題の原稿・構成を元に、一部加筆・修正したものです。

論理的な文章とは何か?長い文章を書くときのコツは?それを論文やレポートにどう生かすか?
今回は、酒井聡樹(2007) 「これからレポート・卒論を書く若者のために」(共立出版)の書評に取り組みました。


1.ロジカルな論文構成を目指す

1.1. 押さえておくべき3つの条件

  酒井聡樹(2007)「これからレポート・卒論を書く若者のために」では、その第一章の部分で、レポートや卒論を執筆する上で重要な、3つのポイントを挙げています。それぞれ順番に考察し、私なりの解釈を述べてゆきたいと思います。

1.1.1 学術的であるか

  たとえそれが社会的な問題や大衆に広く受けられそうな問題であったとしても、動機付けや問題提起がなされていない限り、学術的な論文であるとは言いがたいでしょう。動機付けというのは、個人の熱意や興味に裏打ちされたものではなく、客観的に事実をしっかりと見据えた上で、問題や課題を見極めるためにその論 文を書くに足る理由を明示することです。ここを疎かにすると、「学術論文」から、「読書感想文」や「大学生の自由研究」まで、研究そのものの品位を 落とすことに繋がりかねません。基本的なことではありますが、問題提起の際には頭に入れておく必要があると言えます。

1.1.2 興味を持って取り組めるか

  当然、執筆者のモチベーションにも影響を与えるポイントであることは間違いありません。しかしながら、研究というものは、自分本位で進めるものでは決してありません。そこに自分の論文を読む読者を想定しなくてはなりません。自分が興味を持てない問題は、その提起した問題に興味が無い一般大衆が論文を読んで も、面白くないばかりか、おそらく見向きもされないでしょう。そういった読者を惹きつける小ネタとは別次元の話です。もちろん、自分の興味≠相手の興味ではあるものの、相手の興味の前提条件として、自分の興味は存在しなくてはならないと言えるでしょう。

1.1.3 解答できる見通しが立つこか

  より現実的な問題として、学術論文の最後には、必ずその成果を報告(結論付け)しなくてはなりません。課題図書の中でも述べられていますが、単なるデータ の羅列をまとめたかのように見せかけたものや、現実離れした結論(e.g. 日本人の身体能力向上のために、政府予算100億をかけた牛タン定食の全国的な即時無料化が求められている、など)は求められていません。その問題に対し て、完全な、あるいは一部、さらには最も基本的な論理や疑問を提示するだけでも、筋さえ通っていれば良いのです。ただし、考えるコツとしては、身近な視点 を大事にすることではないでしょうか。日常やふとした瞬間に疑問に思ったこと、矛盾に気付いたこと、おかしいと思ったこと、それらを糸口に見通しを立てれ ば、あまりにも現実と乖離したような結論にたどり着くことは、ほぼ皆無ではないでしょうか。

1.2 テーマ設定のコツ

 多くの卒論に臨む若者(私も!)を苦しませているのが、このテーマ設定だと言えます。最初の難関とも言うべき、この重要な事項を乗り切るために、必要な心構えとはどういったことなのでしょうか。

1.2.1 「ひっかかり」を探せ

  テーマ設定のために必要なのは、ある種の「ひっかかり」ではないでしょうか。1.1.3でも述べましたが、日常的な出来事の中で、あるいは興味が沸いた文献を読んでいて、疑問に思うことや、違った解釈が出来ることに気付いたら、もうそれはテーマ設定への道しるべにたどり着いたことになります。しかし、闇雲 に興味をそそられるだけで、文献などに飛びついていては、まず時間が足りません。さらには、大量の情報に対する頭の処理が追いつかないばかりか、手段と目 的がいつしか逆になっていた、そんな悲劇もあるかも知れません。自分の今現在持っている知識と、興味が持てそうな分野を関連させていくこと、バランスを欠 いた興味や関心は削ぎ落としていくことが大事なのではないでしょうか。

1.2.2 思考の反芻を大切に

  ある文献を読み、内容を咀嚼していくことは、あたかも自分の頭が良くなったかのような錯覚を起こさせるときがあります。学術論文作成の時だけに限ったこと ではないのですが、一つの論文や本から受け取れる情報は大変限られています。もちろん、意味や問題に関連する解法を咀嚼して、自分の知識として活用するこ とは大いに推奨されるべきです。しかし、それらの知識が本当の意味で生きてくるのは、他の知識と関連付けられた瞬間ではないでしょうか。レポートはもちろ ん卒業論文の作成は、あらゆる学術的知識や実験データをリンクさせていく作業でもあるのです。思考の反芻とは、咀嚼し、また他の知識との関連付けも視野に 入れた再検討を行い、さらに思考を深めていく一連のプロセスのことを指します。

1.2.3 情報を整理するために

  情報の整理のキーワードには、情報の視覚化および常設化が必要ではないか、と読み取ることができました。視覚化とは、読んで字のごとく、メモやコンピュー ターソフトウェアなどを用いて、混沌とした情報や知識の海から、ある一定の秩序立った体系をを自らの手で描き出すことにあります。また、ブレインストーミ ングやKJ方、カードを用いた連想方など、さまざまな手段を駆使し、記憶を常に最新に保ち、手の届く範囲にあらゆる情報を置いておくこと=「手がかりの常設化」も求め られます。

1.3 構想を練るための材料

  テーマがおおまかに絞れてきたら、その学術論文の縮図ともいえる構想を練る段階に入ります。論文は感想文や個人の覚書とは異なり、「複雑」な文章体系のもとに成り立っている、「簡潔」な文書でなくてはなりません。構想とは、あるひとつの遊園地や行楽地を案内するための、薄いパンフレットとでも言うべきもので しょう。そこに必要な要素を検証してゆきます。

1.3.1 結論の妥当性

  結論は、問題提起と軸を共にし、あくまで論理的欠陥を排除しなくてはなりません。自明のことですが、Q-Aの関係が崩れてしまえば、その時点で論理が破綻 してしまいます。著者の酒井さんは、逆向きから考えること、つまり結論から必要なデータを見越すことが大事であると著書の中で述べています。 Backward Designについて前回の課題では触れましたが、より理論的かつ柔軟なBackward Designが必要であると言えるかもしれません。また、両者の違いについても、考察の余地があると思われます。

※Backward Designについては、私の指導教官の柳瀬先生がブログ「英語教育の哲学的探求」にて、
その問題点と今後の展望を指摘してくださっています。ぜひお読み下さい。
Backward Designはなぜ失敗しうるのか

1.3.2 骨格の構成

  骨格には「問題提起」のための「取り組む問題」「問題意識」、「解答への道筋」を立てるための「着眼点」『データ・実験」、そして「問題解決」のための 「結論」の3点に大別することが出来ます。いずれにせよ、高校の小論文の時間で学習した「序論」「本論(論拠となるサポートセンテンス)」「結論」の構成 との類似性を見出すことができます。加えて、学術論文では、読者に伝えたい研究の結果を、すっきりとまとまった形で網羅するためには、構造化だけでなく、 そのレポートによって何が課題として意識されているのか、という時点から明確に示しておく必要があります。

1.3.3 見えてきた課題

  骨格を形成するにあたり、そのプロセスのどこかで行き詰まってしまった場合、研究対象となるものの、学術的な意義の低さに原因を求める場合と、研究者自身 の学術的な知識の不足に原因を求める場合とがあります。前者の場合、指導教員や学友との対話、あるいは個人での思考の反駁によってその意義の低さに気がつ くことがあるかも知れませんが、後者の場合はなかなか自身で気づくことができない場合が多いように思えます。ですから、骨格の構築の段階で躓いてしまうな らば、自身の知識体系を、もう一度見直すよう警告をしてくれているのではないでしょうか。ある意味では執筆前の最後の安全装置となりうるようにも思います。


2. わかりやすい文章構成を目指すために

2.1 「伝える」ことは容易くない

  この部分に関しては、前回の課題内容と被る部分が多いと思いました。論文は読者の視点に立った上で、内容を進めていかなくてはなりません。リーダー・フレンドリーであるということは、

・読者と話者の2つの視点を常に持ち、
・「話者は何を知っているのだろう」
・「どのような解説を加えれば、読者は内容をこち らの思惑どおり理解してくれるだろう」
・「整理はしやすいだろうか」

などといった観点から俯瞰してみることが、重要だと言えます。

2.2 文の繋がりや修飾語を意識せよ

  第3部では、主に日本語の修飾技術や文のつながり(coherence)に注目した解説がなされています。これほどまで日本語の修飾や用法に着目した解説 を見たのは初めてだったので、非常に新鮮な気持ちで読むことができました。修飾語の順番、文章の優先度に拠った文脈整理、無駄な情報の削減や複数の文脈に 跨る紛らわしい表現の抑制など、自分の文章にも所々当てはまるような指摘が多くなされていました。読み込めば読み込むほど新しい発見がある部分でした。

2.3 圧縮ファイルとの共通性

 文章を簡略化することは、ファイルを圧縮することと似ているようにも思えます(ちょっと強引?)。Zip形式のファイルなどは、以下のような方式でサイズを圧縮しています。

 「AAAAAMMMMMDDDDGGGG」→「A5M5D4G4」

1文字1キロバイトと仮に考えると、18キロバイトが8キロバイトまで圧縮されています。必要な情報はしっかりと携えたまま、効率のよい記述方法で容量を少なくしています。もちろん、そのまま比較するのには無理があるかもしれませんが、「(説得に足る)最低限の情報はしっかり、かつわかりやすく。」この原則は、理系的な観点から見てみるとわかりやすいのかも知れません。(上記の例は、圧縮のプロセスを簡略化したものです。概念そのものが間違っている可能性があれば、ご指摘願います。)

次回は、本多勝一(1982)『日本語の作文技術』(朝日文庫)を取り扱います。
これもまた、是非一読するに値する有益な本だと言えます。