私が所属する2011年度柳瀬ゼミでは、卒業論文作成のための活動として、文献や論文を読み解き、それらのまとめ(提出課題)を行っています。
この投稿は、ゼミのでの提出課題の原稿・構成を元に、一部加筆・修正したものです。
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今回の課題図書である、「理科系のための英文作法」(杉原厚吉著)を読み、感じ、考えたことをまとめました。いくつかの章からの抜粋となっています。
1.文章の「つなぎ」の意識化
1.1 大原則
著者は、英語には原則として「古い情報から新しい情報へと流れ」なくてはならないというルールが存在すると指摘しています。しかし、ルールが存在する、とは言っても、読みやすさが断然違うという点が異なるだけで、それらの用法が文法上絶対に許されないわけではありません。しかし、くだけた文章や会話の中ならばともかく、学術的な文章、つまりは他人に読ませる前提で書かれた文章は、少なくともこのルールには従わねばならない、という意図を、著者は暗に示しています。
1.2 「道標」の重要性
1.1で述べた「情報の流れ」をスムーズにするためのテクニックには、どんなものが挙げられるでしょうか。著者が提案しているのは、文章のガイド役=「道標」を上手に活用する、ということです。私たちが「作文」に取り組む際は、大抵2つ以上の文章のまとまりの連続として捉えます。連続する二つ以上の文章を読者に読み取ってもらうためには、それぞれの文章が持つ意味を上手に渡り歩いていってもらわねばなりません。そのための「道路標識」となるのが、接続詞・副詞・副詞句・節などの表現なのです。
1.2.1 原因-結果の明示
文章の「道路標識」足りえるためには、具体的にどういった事が必要なのでしょうか。一つには、二つ(あるいはそれ以上)の文章が示す、「原因-結果」プロセスを、読者に分かる形ではっきりと示すことです。そのために、1.2で述べた接続詞や副詞句などを、上手く配置してやらねばなりません。例えば、以下の例文をコンピュータにあまり詳しくない人が見たらどう感じるでしょう。
[1] AMD Corporation produces advanced microprocessors.
[2] AMD Corporation is thriving.
普段私たちが使っているパソコンのCPUはAMD社製で、その製造元は大もうけしている、ということに気付けば(一部のパソコンマニアは)理解できるかも知れませんが、これでは読むほうとしても、AMD社が一体何の会社なのか、一見しただけでは分りません。[2]を読み、[1]と関連付けると言う作業を、完璧に読者任せにしてしまっているのです。では、こうしてみるとどうでしょう。
1* AMD Corporation is thriving because it produces advanced microprocessors.
2* AMD Corporation produces advanced microprocessors. For this reason, it is thriving.
[1][2]の連続使用の用法と比較して、より因果関係がはっきりしました。接続詞becauseや、副詞句For this reasonを用いるだけで、読者にかける負担を少しでも減らす努力をすることが大事であると述べられています。この章では他にも有用な手段が幾つか紹介されていましたが、割愛します。
1.3 従来の教授法に思う
上記の例はあくまで本著で述べられているうちの一つです。しかし、この一例のみを抜き出し、中学校や高等学校での英語教育に立ち返れってみれば、このような指導は全くなされていないように思います。それらの現場では、指導に当たる側のフォーカスは、一文内のみの文法や表記法に留まってしまっていて、文章の繋がりを滑らかにするための工夫や、ものごとをより大局的な観点から考えるための指導が、なされていないのではないでしょうか。これらの指導は、「英作文が得意な生徒」のみの特権ではないと考えます。むしろ、「英作文が苦手な生徒」こそ、苦手意識を取り払うための最初の一歩として教えられるべき事柄ではないのでしょうか。
2.文章理解のための「入れ物」構造
2.1 階層構造を知る
次に、「入れ物」構造という言葉を理解しておく必要があります。文章を文法規則にしたがって構造化し、枠に当てはめていくと、自分が書いた文章がどういった構成になっているのかよく分かります。例えば、本文p.67に、このような二つの文があります。
[3] 日本経済の予測
[4] 日本の経済予測
どちらも、示しているニュアンスが微妙に異なります。前後の文章のつながりを見れば、よりはっきりとするでしょう。前者は、「アメリカ経済」の予測との比較、後者は「経済予測のやり方」を英国と比較した時に用いられています。これは、前回の『日本語の作文技術』(本多勝一著)を扱った際に述べた、「親和度」との関連があるように思えます。但し、こちらの場合はどちらか一方が不自然というわけではなく、両方の意味で取れるため、より「たちが悪い」表現であると言えるのかも知れません。簡単な表現にこそ落とし穴があるというのは、まさにこのことだと言えます。入れ物は、どんな形にでも変形しうる事を、肝に銘じておかねばなりません。
2.2 仮定の及ぼす範囲を知る
仮定の表現は学術論文に必要不可欠なものでありますが、それを用いる際にも細心の注意を払わなくてはなりません。以下の例からは、あたかも[C]に仮定の効力が及んでいないかのように思われます。
[5] If [A], / (then) [B]. [C].
より分かりやすい、誤解を招かない表記法として、
[6] Suppose [A]. / [B] and [C].
※意味上の区切れを分かりやすくするために、スラッシュ[/]を入れました。
[6]のような記述が提案されています。[5]は、やはり作文者の「独りよがり」による、情報伝達の失敗例と言えます。勝手に[A]の効力が及ぶ範囲を決めてしまわれては、読者も読む気が失せてしまうでしょう。しばしば仮定法は複雑な文法構造をとりますから、そちらばかりに気を取られないようにしなくてはなりません。
3. 動詞の果たす役割
3.1 「五文型神話」の崩壊
中学校・高等学校における英語の授業では、よく五文型の暗記をするように言われます(私も実際、それらを覚えるのに大変苦労しました)。しかしながら、ともすれば英語の構造はすべて五文型によって定義されうるというような「神話」を、著者は真っ向から否定しています。Hornbyの辞書を引き合いに出しながら、著者はこう述べます。
「...不自然な表現に陥らないために利用できるものは、何でも貪欲に利用すべきであろう、...」
Hornbyの辞書を用いた解説では、「神話」が全ての英語表現をカバーするものではないことを如実に示しています。普段、私たちが身近に接しているはずのstudy, learn, understand, knowといった単語ですら、すでに範疇からはみ出しているのですから、五文型での完全な判別・解析というのは、いささか無謀な挑戦であるように思えます。
3.2 安全第一が求められる理由
それでは、やはり正確な文章表現や単語使用に基づいた英作文を、中学校・高等学校の生徒たちに求めるのは、無謀な事なのでしょうか。著者は、何度も雪道を歩くときに例えて、「安全」な方法を取るように呼びかけています。完璧なものを教授するには難しいにしても、「読める」「分かる」ものなら、何とか努力して書けるかも知れない。しかし、そこには常に、章の冒頭で述べられているような「変な日本語」を書きよこした外国人のように書いてしまう(書かせてしまう)可能性がある。そのことを常に頭に置きつつ、活用できる辞書やソースは最大限に使う。辞書を丸写しして、分かったような英作文をするより、こちらの考え方の方が現実を見据えているように思えます。
4. 新・旧情報を区別せよ
4.1 議論を弄ぶな
繰り返しになってしまいますが、1.2と1.3で述べたように、文章を作成する際、旧情報から新情報へと論の展開が流れている事に、常に気を配らなくてはなりません。論文作成などの長めの作文を行う際には、文章が二つ、三つ以上連続して重なることがほとんどです。前の文で言及されたことを、次の文で受け、さらに論を組み立てるならば、そのことを示す手がかりは「分かりやすく」「前方へ」「省略せずに」明示しなくてはなりません。その要素が欠けている文章は、たとえ正しいことを述べていても、冗長に聞こえたり、議論を弄んでいる「分かりにくい」悪文他なりません。
4.2 説明は短く、分かりやすく
「前の文を受け」た連続する次の文章では、受けたものを定冠詞・指示形容詞・指示代名詞・冠詞+形容詞・関係代名詞の、五つの表現で受けることが多いと言えます。それぞれの特徴を表すと、
定冠詞・・・説明:短い(theのみ)、言及元:分かりやすい
指示代名詞・・・説明:短い(this/that)、言及元:分かりやすい
指示形容詞・・・説明:短い(this/that/it)、言及元:繰り返し使用すると混乱の危険性あり
冠詞+形容詞・・・説明:短い場合が多い(i.e. The above-mentioned)、言及元:分かりやすい
関係代名詞・・・説明:長い(wh構文では説明的要素が付加される)、言及元:大変分かりやすい
となります。しかし、著者は分かりにくくなる可能性が少しでもあるならば、繰り返しの表現を思い切って使用するべきであると述べています。簡潔な表現≠情報が詰め込まれた一文ではないことは、ここまでの考察で十分に理解できた。「一台の台車には一つの荷物」。こういった観点から見たときに、最も優れたバランス感のある文が、分かりやすい一文に値するのではないでしょうか。
5. 視点の重要性
5.1 受動・能動体の文章に注意
主語に対する「共感度」とは、聞きなれない言葉かも知れません。能動態と受動態の差とは、主語への、話し手・書き手の心理的な距離を間接的に表したものだと筆者は述べています。
[7] 太郎が花子のペンを使った。
[8] 花子は太郎にペンを使われた。
[7]の能動態の文章では、話し手/書き手から主語(太郎)・目的語(花子)への心的な近さは同等、あるいは主語の方が大きい(筆者は太郎=E(S)≧E(O)=花子 と不等式を用いて表現しています)と言えます。しかし、能動態になると、文章中での話し手/書き手の視点は一変し、花子に対してのフォーカスが圧倒的に強まります(E(O)>E(S))。学術論文では、このテクニックを有効に使えば、読者に伝えたいことを強調して伝えることも可能かもしれません。しかし、一方で中立的な立場での理論展開を求められる箇所では、受動態の安直な使用は控えるべきでしょう。これらの違いは、日本語での表現でも意外に気付かないものではないでしょうか。
5.2 移動はご法度
本文中で最も衝撃的だった箇所はここです。分詞構文・to不定詞の用法に伴った視点移動にも驚かされましたが、何よりも所有格に関する視点移動は盲点であったと言わざるを得ません。
[9] Hoffmann was visited by Mary.
[10] Hoffmann was visited by his student.
[11] Mary’s professor was visited by Mary.
仮説6.5 ・・・ 名詞Xの所有格を用いた表現X's Yに対しては、E(X)>E(Y)が成り立つ。
[9]、[10]は受動態の文章であり、Hoffmannに焦点が当てられていることと、Maryとの関係性に破綻は生じていない(どれも、Hoffmannに焦点を敢えて当てた文章である)。が、[11]は仮説6.5と対照して見ると、矛盾が生じる。つまり、
①Mary’s professor → 仮説6.5より、Mary > Hoffmann
②Mary’s professor (=Hoffmann) was visited by Mary.
→受動態の法則(E(O)>E(S))から、Mary's professor = Hoffmann > Mary
ということです。やはり、①と②は明らかに破綻しています。このような数学的証明をもってして初めて、この文章の不可解さが説明できたのです。悲しいことですが、このように体系的に説明されても(いや、されるからこそかも知れません)、文系と呼ばれる私たちは、理解する事が難しいように思えます。そして、フィーリングでの解決などという、無茶なやり方に走ってしまいがちです。改めて、感情と理論のバランスを考えて見る良い機会になったと思いました。
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